はまった漫画ベスト10
少女凛血さんより
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はまった漫画ベスト10
http://d.hatena.ne.jp/log_files/20080310/p2
最近、更新と言えば心に残った小説ベスト10であるとか、心に残ったゲームベスト10であるとか、そういった更新ばかりなのですけれども、こういった企画を発見するに至り私は昂奮を催すのでりまして、またまた自らの嗜好を吐露するのである。こうなったらいっそそういった嗜好品全てやってしまいたい。
「今まで読んだ漫画で一番何が楽しかった?」というような会話が日常的に行われる社会でいったい何を答えればよいのか、と問われればまず私はこの作品を推したい。なんて単純で、それでいて深い要素を含み、人間の存在意義と抱える矛盾を徹底的に問いかける。画の下手さ(オリジナリティ?)なんて気にならない美しい構成と、手の込んだ台詞と描写。全てが、美しい。
読み終えた時、ふと、隣にいる猫を見た。
綺麗な、目で、私を見つめていた。
「道で出会って知り合いになった生き物が、ある日突然死んでいた。そんな時、なんで悲しくなるんだろう。」
「そりゃ人間がそれだけヒマな動物だからさ。だがな、それこそが人間の最大の取り柄なんだ。心にヒマがある生物、なんと素晴らしい」
AKIRAで思い出すのは、まずアニメの方なのではないだろうか。鮮烈なイメージが先行し、幻想的な音楽と、ビビットなカラーが脳裏をよぎる。しかしながらやはりAKIRAの本領は漫画の方にあると思う。緻密に描かれた画、今でも輝きを失わない斬新なストーリ、メカニック、モータサイクル、挙げればキリのない近未来感。中学生の頃、「かねだぁぁぁ!」「てつおぉぉぉ!」って叫びあうのが、ごくごく小さなコミュニティ(私と友人三人ほど)の中で流行した。
たるルート君や東京大学物語が印象に残っている方も多い江川達也ではあるけれども、敢えて私はこの作品。初めの二巻くらいのあまりに普通の展開に少し萎えてしまうかもしれないが、中盤を過ぎたあたりからラストへと向かうカタストロフィが脳内をイイ感じに腐らせていく。最終巻なんて主人公は一切喋らない。
いつか江川達也がインタビューでこう答えていた。
「漫画で表現をするためにはまず売れなければならない。だから僕はまず売れる作品を描く。表現をするのはその漫画が売れてからでいい」
デビュー作にも関わらず、この作品もその例に漏れない。
混沌を纏めきった稀代の名作。
ラストの一シーンだけで、ご飯三倍いける。
圧倒的なプレッシャを以って読む者を恐怖させる。
私はこれほど頭がくらくらする作品を他に知らない。
一番気に入っている話がオフィシャルでアップされているので是非読んで欲しい。もしかしたらこういうのは好き嫌いがかなり分かれるのかもしれないけれども、そういったこと関係なしに、何かを感じ取れる気がする。
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http://www.babu.com/~nekojiru/kabutomushi1.html
6:WORLD IS MINE(新井英樹)
よくここまで話を詰め込んで詰め込んで一つの物語を紡ぎだすことが出来るものだな、というのが一番初めの感想。評価されているほどではないな、とも思った。衝撃を感じたのは再読した時だ。何故か、初回よりもページを繰る手が止まらなかった。脳天、直撃。
7:ユートピア(うめざわしゅん)
私は短編漫画が好きだ。それは最近の傾向で、近頃、秋葉原で短編漫画を買いあさっている。それはその時偶然手にした作品。そして、今までで、一番、キレテイル、作品だ。勿論良い意味で。
人は、この作品を切り取って「こなれすぎている」と言うかもしれない。確かにそれは一理ある。ただ、アイデアに凝縮された青臭い感動たちを素直に受け入れると、すんなりとその世界観に没頭できると思うのである。第一話、激、おススメ。
冬目景好きというのは一定数いるようで、私の周りにもたまにいて、大体が熱く作品について語ってくれるナイスガイだ。勿論私もそのひとりなのだけれども。
どちらかと言えば話の内容は【イエスタディをうたって】の方が好きなのだが、まだ完結していないということなので。しかしどちらにしても素晴らしい作品。最終話までの予定調和がいかにも美しい。たんたんと流れていくストーリは、とても緩やかで、まるで、時が止まったかのように錯覚させる。
シュールレアリスティックを極限まで推し進めたつげ義春の作品。キチガイ染みたストーリテリングに合わせたぶっ飛んだ展開、内容は夢野久作を思わせる夢と現の交錯したファジィな空間、読んでいるうちに少しずつ自分の存在さえ不確かなものに思えてきてしまう。逸品。
でも
愛し合うことだけが
どうしてもやめられない
さて、あとからあとから出てくるからすごく困るこのベスト10。これも入れたい、あれも入れたい、短編時代のZMANとか、熱帯のシトロエン、群青学者、G戦場へブンズドア、うずまき、奇人画報、最終兵器彼女、虹ヶ原/ホログラフあー、止まらない。でも、これらの作品たちは、私の心の中で生き続けるのである。そっと。
えっちな言葉ばっかり調べて…もうっ!(ぷんすか)
子供の頃やったことあるよっ♪
色褪せたキ・オ・クだっ♪
広辞苑、広げてっ♪
ではなくて、やはり私たちが子供の頃は、広辞苑でも明解でもペンギンクラブ(山賊版)でも何でもいいけれども、辞書広げてちょっとえっちな言葉を捜したりする。誰もが胸を高鳴らせながら「もしかして…このいやらしい言葉がこの分厚い辞書の中に…」と思ってページを捲る。男の子はパンツの中を膨らませて(どきどき)、女の子はちょっともじもじしちゃったりしながら(!!)、必死に青春の1ページを辞書に見出そうとする。
まずは、ジャブの牽制で、【性交】あたりから。
それで、もう、そこからは縦横無尽に妄想全開で右往左往飛び回ってあのページこのページと行ったり来たり、自分で慰めるのがふむふむ、別名は旧約聖書に登場するオナン氏が起源でありまして、すなわち手で慰めると…手っ!手っ!オナンとかまじやばいっ!手で慰めるの開発するとか、やばすぎっ!プロジェクトXに出てもおかしくないっ!(興奮しながら)
電子辞書時代の到来とともに、辞書のエッチな箇所に付箋を張るといった思春期特有の造作はなくなったが、新たに【男の子の友人の電子辞書の履歴を見る】といったような、素晴らしいアクションが追加された。是非中学生の女の子(はこんなところ観てないと思うけど)はこのアクションを実行して欲しい。
アクションを実行すると、
「やっ、やめろよっ!」
「なんで、あっ、えっちなこと調べてたんでしょっ」
「ちっ、ちげーしっ!!そんなわけねーしっ!!」
「ふーん、○○君もそういうことするんだー」
「だ、だからしてねーっていってんじゃんっ!」
「○○君も…そういうことしたいの…?(上目遣いに)」
「ぇ…(どきどき)」
「したい…?」
「ぅ…ぅん」
「やっぱり!先生!○○君がえっちなことしたいって言ってます!」
「ぇ!ぇ!」
というフラグが立ちます(立ちません)。
まぁ、さておき。
言いたかったのはそういうことではなくて。
広辞苑の第六版に、ついに、全国の思春期バリバリな男の子女の子たちが待ちに待った【おま○こ】が収録されたもよう。
みんなっ!買って、そして調べるんだっ!
→http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20080130/1006612/
ツバメと資本主義
今週号のジャンプのこち亀にツバメの巣を取る話があった。
相も変わらず両津勘吉は金儲けに走り、高級食材であるツバメの巣を取りにタイまで出向くのであるが、子育て中のツバメから巣を奪うことがツバメをパニックにさせ、そして卵を落としてしまうことに気付き、反省し日本に帰ってくる。アマツバメは足が弱く歩けないため、飛びながら寝る。身体を軽くするために食事も制限し、その中で子育てをする。そのことに酷く同情するのである。
そこで両津は非難する。
金持ちが大金を叩いて食べるからいけないのだ、と。
これは凄く適切な表現であるな、と思った。去年観た【ブラッドダイヤモンド】はダイヤモンドを巡る紛争の話で、ダイヤモンドを求めて買う人間がたくさんいるから、会社はそれを利用しダイヤモンドを買占め、そして値をあげる。その勝手な都合でダイヤモンド産地国では紛争が起き、日夜子供たちは戦争に駆り出され、幼い命は奪われ、格差が生まれていくのである。
映画は、紛争が起きるかどうかは消費者の手に委ねられている、というような言葉で締めくくられる。確かにそうだ。ダイヤモンドを高価な値段で買う人間がたくさんいるから、それを集めようと必死になる人間がいる。ツバメの巣でも、フォアグラでも、それは似たようなものなのだろう。両津勘吉は「人間なら、やっと立てたマイホームが、次の日に無くなっている様なもんだ」と例えているが、的を射た意見だ。
と言っても、人間だけが自然界のサイクルから外れた、いわゆる万物の霊長たる物であるらしいので、「豚だって飼育して殺して食ってるんだからツバメもフォアグラも大して変わらんのであるし、貴様はそれも駄目とか言うのですか??」と反論されたら終わりで、「まぁしかしながら生きるために食うのはいいんじゃないですかね」という返答もありかな、とは思うのであるが、どちらにせよ生きる以外にも楽をする為に他の動物を苦しめているのには変わりなく、ではどうすればいいのか、と言われても答えは出ない。
単なる感情だけで物は言えないけれども、これを生理的に受け付けない、とか言ってしまったら駄目なんだろうか。
少なくとも私は、ツバメもフォアグラも食べたくはない。
未来に残したいゲーム(ファミ通1000号記念)
ファミコン通信が1000号記念の告知をしていたので、数年ぶりに買ってみた。読者が選ぶ未来に残したいゲームベスト100や、クロスレビュでプラチナを取ったゲームが全て載っており、それが目当てだ。先日の【心に残った小説ベスト10】しかり、そういうのが案外好きなのかもしれない。
ファイナルファンタジ、ドラゴンクエスト、マリオ、多くの名作と呼ばれてきたゲームたちがそこにはランクインしていた。クロスレビュのプラチナ殿堂入り作品も見てみたのだが、やはり、なるほど、と思わせるものが多い。ファミ通を毎週買っていた時代(小学生の頃)は、なんか任天堂作品がやけに殿堂入りしていたり、レビュアが皆一様に同じことを繰り返すのが詰まらなく感じていたが、確かにいろんな視点に立つと、面白いのかもしれない。(3D格闘にどうしても面白さを感じず、鉄拳ヴァーチャソウルキャリバなどが毎回プラチナであることにイラついていたのも確かなので、単なる私怨もある)
なんだか年を取るにつれてゲームをあまりしなくなってしまったけど、こういった企画を読んでいると、酷くノスタルジィな感覚に陥る。無駄に、もっとやりこんでおけばよかった…、と思ったりする。なんで海チョコボ作るのを諦めてしまったんだろう、なんで12時間クリアしてエクスカリバをゲットしなかったのか、なんでロケットランチャ無限の夢を断念したのか、と考えれば考えるほど後悔の嵐だ。
なんか最近はゲーム熱なんて真夏の夜の夢みたいに過ぎ去ってしまったけれども、ちょっと、もう一度、このベスト100に載っているゲームだけでもやってみようかな、と思った。
ということで私もまたこんなのをやってみた。
結構普通になってしまったけど、やはり面白いものは面白い。
未来に残したいゲームマイベスト10
1:グランディア
ファミ通では47位にランクイン。基本的にはRPG大好きであった私は、知り合いにたくさんの名作を教えてもらったのだが、グランディアをプレイした時の衝撃は凄まじかった。RPGゲームをする意義というのは、普段はすることの出来ない冒険を、ゲームの中ですることで快感を得ることだと思う。だから、どれだけ主人公に自己投影出来るか、感情移入できるかが私の中ではかなりのウェイトを占める。
そこを考えるに、本作の主人公であるジャスティンほどの逸材はいまい。冒険に憧れる少年、そしてそれを実行するだけの実行力、乗り越えなければいけない壁に突き進む勇気、少年たちがいつかは持つ淡い恋心。全てを兼ね備えていた。音楽、戦闘システムはさることながら、この大きな人間賛歌に私は砕け散り、心を打たれた。(ちなみにクロスレビュではプラチナでなかったらしいけど、それは最大の失敗だと思う)
ファミ通では85位にランクイン。幼すぎてあまり覚えていないのだけれども、やはり衝撃のラストシーン。ここまでパーティを成長させてきてくれたあなたなのですか。何故なのですか。と沸々と湧き上がる疑問を処理しきれずに、終わってからも考えさせられた作品。幼いながら、神とはいったいなんなのだろうか、と深く感じ入った。最後が一撃で終わるというのも、どういった意図だったのか、と未だにいくつもの「何故」が頭をよぎる。
3:花と太陽と雨と
アウトオブランク。実はこのランキングを執筆中に調べていて知ったのだが、シルバー事件なるゲームの続編らしい。私はプレイ経験はなし。ということで、別に前作をプレイしていなくてもまったく関係なく楽しめる作品だと思う(パロディ的な意味で前作をプレイしていた方が面白いのかもしれないが)。どちらにせよ、私は非常に楽しめた。雰囲気作りから、音楽、登場人物全ての台詞までがセンスの塊で出来ているようで、謎を解いていかないと全くわけの判らないシュールな展開も素晴らしい。こういう謎解きはいくらでも歓迎したい。
アウトオブランク。これほどポップでキュートでアクロバティックなゲームがあっただろうか。ドリームキャストのコントローラを必死に捏ね繰り回して技を成功させていたのを今でも思い出す。何度も何度もトライして、勝利を得たときの気持ちよさは、どんなもにもかえがたい快感だ。
アウトオブランク。宇宙人に「踊りで勝負よ♪」といううららがとても可愛い。設定の作り込み方や、演出、音楽に至る細部まで象られたコンポジションは、クリエイタの強い意志を感じる。スイングガールズでスペースチャンネル5を演奏された時は、なんだか懐かしさがこみ上げてきた。
ファミ通では9位にランクイン。父上が「おまえはこれでもやってうんこでしてろ」と仰ったので素直にやった作品。人間育成したりするのが好きな人は多いと思う。犬や猫のペットや、たまごっちにポケモン、極論で言ってしまえば子供も。そういったことを踏まえて、やはりドラクエ?のモンスタを仲間にするのは楽しかった。あとはなんと言っても、小学生に【結婚】という、まるで人生を決めさせるような選択肢を迫るという、ただのゲームとは思えない臨場感にやられたのは、誰の意見をとっても同じだと思う。誰もフローラを選ばないのも、同じ。
なんと まふみんが おきあがり
なかまに なりたそうに こちらをみている!
なかまに してあげますか?
はい
⇒いいえ
7:ファイナルファンタジ7
ファミ通では2位にランクイン。最後までハラハラさせられる展開と、映画的とも言われる映像美によって、引き込まれてしまう。かつて、ヒロインが途中で死んでしまうRPGがあったっだろうか。おそらく、これも誰もが思ったはず。「いったいいつになったらエアリス復活するんだ?」と。ストーリが進んでいくにつれ「もしかして…」と思うのだが、「いや、まだ大丈夫、まだ、中盤」と自分を納得させる。「いや、まさか…」とセフィロスに超究武神覇斬を叩き込みながらも思うが「まだエンディングじゃない、まだエンディングじゃない」と自分を納得させるのだ。結局、彼女は、いつまでも、闇の中だ。
ちなみにエアリスをパーティに入れたままクリアするバグもあるらしいのだけれども、それはやってはいけないと思ったりする。デートも、ちゃんとエアリスと行くべきだ、とも思ったりする。
8:街
ファミ通では38位にランクイン。絡み合うそれぞれが抱える物語が、観る者全てを虜にする。チュンソフトが作り上げた最高のサウンドノベル。若かりし頃の窪塚洋介が出ているのもご愛嬌。捻られたプロットを笑いと感動が包み込み、時にはバッドエンド、時にはハッピイエンドになりながら、人生というものの不条理さや、美しさについて、気付かされた作品である。
9:Rez
アウトオブランク。スペースチャンネル5も作った水口哲也の才能が発揮された意欲作。クレジットに「カンディンスキの魂に捧げる」という一文があるほどカンディンスキからインスパイアされており、コンセプトも「カンディンスキーのシナスタジア(共感覚)理論とレイブ体験の融合」となっている。音楽と、プレイヤが一体化して作り上げる一大視覚装置としてのRezは、一流のエンターテイメントであるとともに、感覚器官ともなるのだ。
10:Kanon
アウトオブランク。申し訳程度に入れているのであるが、最後に「そういえば入れなくては!」と思い出してしまったのだから仕方がない(おかげで先に書かれていた風来のシレンが消えてしまった)。ほとんど唯一やったことのあるギャルゲー(パッケージにはアドベンチャゲームと書いてあったが)で、あまりに素晴らしいストーリの交差に、震える手が止まらなかった作品。どのエピソードにもどんでん返しがついていて、その構成美には、感嘆の言葉しか漏れない。AirやりたりAirやりたい、と思っているのに、時だけが過ぎ去っていく。
統計学から観た印象論
タバコとクルマとファストフードと健康問題
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http://d.hatena.ne.jp/ululun/20080118
特にid:fake24氏の肩入れをするというわけでは全くないし、煙草の話とかどうでもいいのだけれども、id:ululun氏がこだわる【統計情報を調べてから】という言い分には少なからず無理な点があるということを少しだけ。もちろん統計情報は重要。しかしながらそれだけでは語れない。
まず氏は
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http://stpeteforpeace.org/real.threat.html
を転載することで、肥満による死が第八位で喫煙の方が完全に害悪である、という論調を展開しているのだが、一位が【心臓病】による、って明らかに書いてある。私はあまりソースにwikiを利用するのは好きではないのだが(実際平均4つほどの間違いがあるというのは有名)、心臓病の項目によると、アメリカ心臓病協会は、フライドポテトを制限する勧告を出すなど、ファーストフードの危険性をあげている。ただ、最後に喫煙についても触れてるから、これはどっこいどっこいということかな。項目的には圧倒的に食物の割合が多いが。
さらに氏は、スーパーサイズミーに言及した上で【喫煙に比較してファストフードの良いところは「食べない」という選択が出来る点である】と書かれているけど、これはスーパーサイズミーを観ていないと考えてもいいのだろうか。いちいち映画についてwikiを引用してアレコレ言うのは、もうどこが統計的なのか全く理解出来ない。しかもwikiだし。まさか観ていないというわけではないと信じたいが。
スーパーサイズミーが映画の中で少なからず主張していたのは、氏の言う、赤毛にピエロメイク黄色のつなぎを着た男が、子供たちの遊戯場を作るなど積極的にハンバーガなどを子供たちに提供することによって、幼少時代からファーストフードを摂取することが習慣化し、アメリカ人に肥満をもたらしている、ということだ。子供にも【食べない】という選択は出来るかもしれないが、そういった害を認識していない人に選択を迫ることは出来ない。
もちろん、スーパーサイズミーが極端な例であるのは判るにしても、なんだろう、なんでもかんでも統計統計言っても始まらないんじゃないか、ということ。例えば映画なら映画を観て得た、統計なんかとはかけ離れた部分にある印象や、作者の意図があるのだし、そういうのももう少しばかり大事にしてもいいのではないだろうか。
参考: