ツバメと資本主義

今週号のジャンプのこち亀にツバメの巣を取る話があった。

相も変わらず両津勘吉は金儲けに走り、高級食材であるツバメの巣を取りにタイまで出向くのであるが、子育て中のツバメから巣を奪うことがツバメをパニックにさせ、そして卵を落としてしまうことに気付き、反省し日本に帰ってくる。アマツバメは足が弱く歩けないため、飛びながら寝る。身体を軽くするために食事も制限し、その中で子育てをする。そのことに酷く同情するのである。

そこで両津は非難する。

金持ちが大金を叩いて食べるからいけないのだ、と。

これは凄く適切な表現であるな、と思った。去年観た【ブラッドダイヤモンド】はダイヤモンドを巡る紛争の話で、ダイヤモンドを求めて買う人間がたくさんいるから、会社はそれを利用しダイヤモンドを買占め、そして値をあげる。その勝手な都合でダイヤモンド産地国では紛争が起き、日夜子供たちは戦争に駆り出され、幼い命は奪われ、格差が生まれていくのである。

映画は、紛争が起きるかどうかは消費者の手に委ねられている、というような言葉で締めくくられる。確かにそうだ。ダイヤモンドを高価な値段で買う人間がたくさんいるから、それを集めようと必死になる人間がいる。ツバメの巣でも、フォアグラでも、それは似たようなものなのだろう。両津勘吉は「人間なら、やっと立てたマイホームが、次の日に無くなっている様なもんだ」と例えているが、的を射た意見だ。


と言っても、人間だけが自然界のサイクルから外れた、いわゆる万物の霊長たる物であるらしいので、「豚だって飼育して殺して食ってるんだからツバメもフォアグラも大して変わらんのであるし、貴様はそれも駄目とか言うのですか??」と反論されたら終わりで、「まぁしかしながら生きるために食うのはいいんじゃないですかね」という返答もありかな、とは思うのであるが、どちらにせよ生きる以外にも楽をする為に他の動物を苦しめているのには変わりなく、ではどうすればいいのか、と言われても答えは出ない。

単なる感情だけで物は言えないけれども、これを生理的に受け付けない、とか言ってしまったら駄目なんだろうか。

少なくとも私は、ツバメもフォアグラも食べたくはない。