木曜日

学校帰りに古き先輩と映画を鑑賞、人波を泳ぎながら渋谷の街を徘徊する、焼けつきどこか焦げた匂いを発するアスファルトを踏みしめながら、汗が首筋を伝う感覚にいらつく。

街という一つの形態に取り込まれたような一種の戸惑いを感じながら渋谷という名前の生きた胎動に耳を澄ます、美しい響き、或いは雑音、電子音や飛び交うコミュニケーションが喧騒と化し、我々の耳を塞ぐ、確かに耳は自分の意思で閉じることは出来ないのだが、こうして耳を塞ぐ音さえあれば我々はいつでも無音の世界に浸ることが出来る、音の存在を肯定する無音。

映画を鑑賞後、新宿に行く、伊勢丹を回り服を漁る、なんだかよく判らないのだが、物を忘れることを得意とする僕は、服までもいとも簡単に失くすことが出来る、それによって夏物がほぼないという虚しい状況なのでたまには大量に買い込むことも大事だ、そして生活費が消える。

太陽が消え、月が次第に明るみを増してくるころ、僕は帰路へ着く、雨がゆるゆるとアスファルトへ染みをつけ蒸発、新宿駅への道を一人歩きながら僕は雨に濡れる、そういえば傘も家に忘れたんだっけ。