川の流れとか

気付いたらまた一ヶ月、時が経つのは早いのかもしれない。

そういえば私の祖母が以前こんなことを言っていた。若いうちは時が経つのが遅い、何故なら早く大人になりたいという気持ちや将来に対する希望と夢に満ち溢れているからだ、願望や欲望があるうちはゆっくりとした流れの中に身を置くしかないのだ、しかしながら二十代を越えたら時は足早に過ぎ去ってゆく、もう後に残るのはただただ消化しなければならない殆ど無駄とも思える時間だからだ。

なるほど、アインシュタインは自らの理論を覆す精神的時間についてこう語っている、熱いストーブに手を置いている一分よりも可愛らしい女の子と手を握っている時間の方がずっと短い、と。全く逆を突いていると言えばそうなのかもしれないが、恐らく原理は殆ど同じなのではないだろうか、と私は思ったりする。


しかしそうなると時の流れが速く感じる私に残された選択肢は二つ、ということになる。


一つはアインシュタインよろしく私は素晴らしい時間を過ごしている最中である、ということである。金に溢れ、周りは女の子でいっぱい、やることなすこと成功の一途、完全無敵の私に適う人間も物も社会的なシステムすらもない。そんな私に流れる時間が早いのは至極当然とも言える。

もう一つは祖母の言っていた原理である、既に夢も希望もない私に残されたのはだらだらと過ごす虚しい時間だけ、大人にも子どもにもなりきれない中途半端な人間として或る種完成し、不安定で先行きの無い暗雲の中をひたすら走り続けるのである。早く迎えは来ないのであろうか、と。


さて、特に答えが用意されているわけではない、どちらであろうと構わないし、もしかしたらまた別の正解があるのかもしれない。ただそんなことを考えては時間を潰しているからこそ時計が早く進むのではないだろうか、とも思ったりしている。