浦沢直樹「PLUTO①②」

PLUTO (1) (ビッグコミックス)

鉄腕アトム―地上最大のロボット編」は昔に図書室で読んだだけなのでよく覚えていないのですが、最後にプルートとボラーが一緒に爆発するのを見てアトムが「やった!」みたいなことを言ったのが気に喰わず、自分の中で余り良い印象を持っていませんでしたが、今回「浦沢直樹」の「プルート」を読み、やはり「手塚治虫」の力は凄いことを再発見。

これは僕の推測で単なる印象でしかないのでスルーして貰って構わないのだけど、「手塚治虫」の頭の中では「人間=神」「ロボット=人間」という方程式があったのではないかと思う、それもギリシャ神話的な。

というのも、「手塚治虫」が創り上げたロボットたちは余りにも人間臭い、皆虚栄心やプライドにまみれており、自分たちの都合を相手に押し付け、その癖精神的に脆く、無駄にロマンティシズムを尊重する、彼らはロボットの形をした紛れもない人間であり、それは宛ら、神様の癖に余りに人間的で、人間が創作したことがまる判りなギリシャ神話の神々を思わせる。

今考えると名称からもそれが伺えられる。まず「プルート」はローマ神話だが、ギリシャ神話の「ハデス」が取り入れられたものであるし、「ヘラクレス」はギリシャ神話最大の英雄、「エプシロン」は「ε」でギリシャ文字になっている、舞台をギリシャにした闘いもあった気がする。


で、浦沢版のプルートで僕が気に食わないのはその人間臭さ、これが余りにも酷い方法で押し出されている、例えばピアノを弾くシーン、カタツムリに興味を示すシーン、この腐ったような小道具でロボットたちは、「我々はロボットだけど人間的な人格を持っているから素晴らしいんです」と言っているようで気持ち悪い。自ら人間であることを主張するロボットほど怪しいものはない。

言ってみれば手塚治虫の描いたプルートはギリシャ神話的だが、浦沢が描いた世界観はキリスト教的だ、自ら造ったにも関わらず自らの手でぶち壊し、自ら戦争に連行させたくせに仲間を殺したことを非難する、余りに美徳と化したロボットたちの行為は我々を感動させ、「ロボット=善・人間=悪」といったものを頭にインストールさせる。

浦沢のロボットたちに人間らしさはない、多くの小道具を用意しながらも全く人間らしくない、奴らはただ人間がメモリーにインプットした「善」という価値観に沿って動く機械でしかないのだ。