花園神社とメイド

本日、観劇の際、帰りに御苑から新宿までの道のりを歩いていると、靖国通り沿いが人に溢れている、しかしながら新宿が人通りに溢れるなどというようなことは日常茶飯事であり何を今さら、と仰る方も多いと思うが、屋台に熊手と、異様な景色の中で若者たちがじゃがバターにむさぼりついていたのである、これは何事かと考える。そういえば本日は勤労感謝の日であるからして、新嘗祭か、ふと閃いた。勿論、熊手も出ていることであるし、酉の市が主であろうが、新嘗祭を忘れてはならない。

ご存知、勤労感謝の日は戦後に出来た祝日であり、それ以前は「新嘗祭」として、五穀の実りを祝い天皇自らが神に捧げ、食すという千年にも渡る習慣があった日でもある。天皇即位の年は特別に大嘗祭と呼ばれ、即位の義とほぼ同様の意味を持ち、(誰も観たことはないが)その大嘗祭で、即位する天皇は神に捧げた神饌を自ら食し、人を捨て、神へとなる。11月23日という日は(この日に決まったのは明治以降であるが)神社にとって最も大事な日であり、それはヤマトタケルを祭る花園神社もご多分に漏れない。

ところで、花園神社と言えば、東京では靖国神社と並び、見世物小屋を祭事の際に開く神社としても有名であるが、本日はそれよりも気になるものを見つけた。「メイド屋台」である。このような言葉を太字にするのもどうかと思い、思春期の少年のごとく悩んでしまうのであるけれども、しかしここはあえて太字にさせて頂きたい。

メイド屋台」である。


「写メとかだけでもいいんで、寄っていってくださーい☆」


と数人のメイドを配したメイド屋台にはメイド一人に対して五、いや、六はいるだろうと思われるような人だかりが出来、その周りを物珍しそうにそして嬉しげに「どんなメイドがいるか見てみよう!」と語る少年たちの好奇心が渦巻いていた。今と成っては、怖を撥ね除ける熊手や呪符などには誰も見向きなどしない、大して可愛くもない女性たちがメイド服と呼ばれる錯覚によって三割増しの美しさを保持し、人々はそれらに魅了されてしまった。我々はこれを「女子高生は制服で三割可愛く見えるの法則」と呼ぶ。