中川翔子ライブ所感

友人に誘われ、三千円もの大金を払い、中川翔子のライブへと足を運んだ。

これまで私には中川翔子についての知識は殆どなかった。中川勝彦ムーンライダースとの関わりが多少なりともあった経緯から既知であり、その娘、或いは近年のオタクアイドルの走りでありブログは有名、程度の認識であった。まぁ、言ってみればクラスは同じだが、話したことはない知人、といったくらいの距離の「有名人」であった。

その中川翔子しょこたんのライブに行くことになったのかは省くとして、私が感じたのは、やはり、無知なる人間はその場所へ足を踏み入れることすら出来ない、ということだ。



私は先日、西表へと二週間、祝祭研究の名目でフィールドワークを行った。

そこで出会った祭りが「アンガマ」と呼ばれる盆行事なのであるが、私はこの祭りに参加するつもりでやって来たはいいが、そこは、同じ場所で踊ることすら躊躇するような異様な空間であった。同じ村の、しかしそうは言っても他人の家に上がり込み、庭先で円を描くように永遠とも思われる二十分を踊り、裏声で「ヒャ!」と叫び続ける人々の輪の中に入り込み、私も一心不乱で声を上げたが、一種の疎外感を抱かざるを得なかった。言ってみれば、ファインダ越しにそれら事象を眺めているような、どこかそれらを客観的に観ている。人々の高揚が頂点に達し、一体感が深まるにつれて、一人、孤独を感じていた。決して、踏み込むことの出来ない円の外にいることを感じさせられたのである。

これには勿論いくつかの理由があるだろう。

例えば、この「盆」で送ろうとしている霊は、私には縁もゆかりもない。すなわち、他人だ。完全な、他人だ。その他人を、どういった神聖な儀式のプロセスがあろうとも送るということは出来まい。私には始めからその資格すらない。

他にも「村社会」という西表の体質など、あげればきりがないほど、この疎外感の正体は明らかになっていくのかもしれない。しかし、それでも、それらは解決することは、決して出来ない。



その疎外感を、中川翔子のライブで、覚えた。

どんなにテンションを助長するような音楽であっても、自らアドレナリンを出すような意識を持ったとしても、ライブを観覧する人々と同じようにジャンプや手を振るようなアクションを取ることは出来なかったし、したとしてもむしろその疎外感は増すばかりであった。人々が、ステイジ上の中川翔子と一体感を持てば持つほど、それに合わせてペンライトを振る自分に疑問を持つ。何故、私は、この知らない人間に対して、何かしらのメッセイジを送るような真似をしているのだろう、と。

群衆の中の孤独に苛まされながら、私は、友人を置いて、一人で会場を後にした。



ところで私はヲタ芸というものを初めて目にしたのであるが、あれはとても美しいな、と感じた。

いくつかのメディアで「迷惑行為」であると断罪されているのは耳に入ってきてはいたが、実際視界に飛び込んでくるあの壮絶な動きは、芸術とさえいえる、と考えてしまった。

踊り狂っていた二人組の男たちが、バラード調の曲が始まる前に、土下座のポーズをした。否、それはポーズとは言えないような、或る種の異様な雰囲気を纏っていた。曲が始まると同時に、やがて彼らは顔を正面に向け、手を挙げた。それは私が以前、フィールドワークを行ったメッカで観た光景そのものであった。中川翔子が居る、ステイジをかえり見もせずに、彼らは暫くの間、そうやって、自らの身体を同じようなリズムで上下させていた。周囲の人々の嘲笑にも関わらず、それは数分間続いた。

ヲタ芸は祈りだ。

祈りは、彼らの、連帯感を、また、強くする。