映画オールタイムベスト10

このお方の所で見つけました。

そのまんまの企画といえばそうなのですが素晴らしい映画を発見できますし何より自分が楽しそうですので参加してみたりとかしてみようかなぁと思うのですがなんとも自分の恥ずかしい映画人生を吐露しているようで羞恥心を刺激してやまないのですはい。(ちなみに10個書ききってからなんで【鉄男】を入れなかったんだろう、と思ってしまった。でも何も抜けないし、先に思い浮かべればよかったのだろうか)

http://d.hatena.ne.jp/washburn1975/20071203



1けものがれ俺らの猿と(須永秀明 2001)

この映画を何度見ただろう。

引き込まれていく不条理空間。主人公が理解不能な出来事に巻き込まれていく姿を見ているだけで痛々しく、心臓が引き裂かれそうになり、それでも観ることを強制する美しさ、音楽。ニューウェーブバリバリのバックグラウンドミュージックは素晴らしい。あの町田康全開のラストシーンから流れる【ASA-CHANG&巡礼】の【花】は鳥肌もの。思えばニューウェーブに系統気味の音楽趣味もここから始まったんだろうか。ストーリ、ミュージック、ビジュアル、アクタ、はい、その全てにおいて最高の映画です、自分にとって。


2第三の男(キャロル・リード 1949)

曲の方が先行しているというか、エビスビールのテーマソングが何故【第三の男】なのかはいまいち判らない。CM作った方がこの映画を好きだったのだろうか。どちらにしても、映画を観た後ではなんとも言えない哀愁を誘う曲調だ。

オーソン・ウェルズは言う。

「こんな話がある、イタリアはボルジア家の下30年戦争に苦しんだが、ルネサンスやダビンチを手に入れた。一方、スイスの同胞愛、そして500年の平和と民主主義は一体何をもたらした?鳩時計さ。じゃあな!」

別にこの会話で何を語るわけでもないのだが、【第三の男】を観た人間の多くが感じるように、私もここで何かしらのインスピレーションを得た。身体中の毛が逆立った。グレアム・グリーンの綿密な脚本に、ウェルズの遊び心、カラスが奏でる美しいツィタの響き、その全てが心に染み入る映画である。


3エヴァンゲリオン劇場版:AIR+まごころを君に庵野秀明 1998)

人にはATフィールドというものがるらしい。

心の壁、と言う人もいる。

人は人から見られることで人の形を保つことが出来る。人は人がいることで人であることが出来る。それには心の壁が必要なのだ。壁、あるいは境界線があることで人は人を保持できるのだ。だから人は心の壁を大切にする。しかし、もし、もしもだ、心の壁がなくなってしまった場合、人はどうなるのだろう。消えてしまうのだろうか、それとも溶け出してしまうのだろうか。

実存主義を映像化出来た唯一の作品、だと思う。


4大人は判ってくれない(フランソワ・トリュフォ 1959)

これはバルザックの盗作だ!

なんてドワネル少年は言われるわけですがそんな偉大なバルザック様の影響を受けないフランス少年がいないわけがあろうか、いやいない。鬱屈とした少年時代を鮮やかに描ききった傑作で、少年好きなジャン・コクトも絶賛しているわけだが、たしかにアンファンテリブルの世界観は受け継がれている気がした。軽やかな印象の中で、少年の心模様が映し出されているところとか。


5マトリックス(ウォシャウスキ 1998)

勿論映像の革命です。

押井守的な流暢な動きに回るカメラワーク。

そこで終わらない映画なのがマトリックスの凄いところだな、と思う。存分にポストモダン哲学を取り入れ、ジャン・ボードリヤールの考えを踏襲した上で、人為的な境界周辺の向こう側にも、こちら側にも、もはや現実は存在しないことを示す。おそらく殆どの方は自らのいる世界を非現実である、とは考えたことはなかっただろう。私もだ。特別今の世界が非現実であるとは今も思ってはいない、しかし、疑問を持つことが大切なのだ。


子曰く、

昔者荘周夢に胡蝶となる。栩栩然として胡蝶なり、自ら喩みて志に適えるかな。周たるを知らざるなり。俄然として覚むればすなわち虚然として周なり。知らず、周の夢に胡蝶なるか、胡蝶の夢に周なるかを。周と胡蝶とは、すなわち必ず分あらん。これを物化という。


6カリガリ博士(ローヴェルト・ヴィーネ 1920)

アクロイドは誰が殺したか、誰でも殺せた。

なんてヴァン・ダインは言っていたようであるし、言ってみればクリスティ的なこの手法は卑怯と言えば卑怯なのかもしれない。(実際はカリガリ博士の方が古い)それでも最後のどんでん返しは驚くに値するし、少なくとも私は驚愕した。チェザーレとカリガリのどうにもこうにも不安に陥れるような演技と、舞台装置の気味の悪さもラストへの焦燥感を掻き立てる。白黒とか古いとか、サイレントだとか、全く意識せず観られる、貴重な映画の一つ。


7CURE(黒澤清 1998)

「あんた誰だ…?」

「本部長の藤原だが」

「ふーん、で、あんた誰だ?」

「本部長の藤原だと言ってるだろうが!!」

「本部長の藤原、もう一度聞く、あんた誰だ!?」


8マルホランドドライブ(デビット・リンチ 2001)

そんなに面白かったけ、と思ったりする。

でも面白かったんだろうな、と思ったりする。

一昨年くらいにマルホランドドライブに行った。

ロサンゼルスの夜景が見渡せるみすぼらしい丘にある細い道だ。


「ロサンゼルスの夜景が君に手を振っているよ」


と女の子に言いたくなるような、さりげのない丘だ。


9アルファビル(ジャン=リュック・ゴダール 1970)

記号化された世界。

人々は感情の全てを失い、a−60に全てを統括される街。そんな複雑な世界観を持つ近未来世界にも関わらず、物語はチャンドラ的なアメリカンハードボーイルドで進んでいく。ゴダールには珍しいハリウッド的【愛】を男は紡ぎ、女は語る。統制された物語と、スリリングな展開、どれをとっても、言ってみれば【面白く】、そしてそれでいて深く観るものに何かしらの感銘を与える映画なのである。


10ドニーダーゴ(リチャード・ケリー 2001)

世界の終わりまで、あと28日6時間42分12秒。

自分自身こそが世界の中心であり、自分が終われば、世界も必然的に終わる。まず在った世界に対して、【私】というドニー・ダーコが望んだ世界を、再現化していく。時間と人が交錯していく中で、選ぶこと、そして生きることを迫らせる。私は、初めて観たとき、私の中で何が起きているのかが全く判らなかった。ただ、私も何かしらを選んでいかなくてはいけないのだろうか、と思った。そして、二度目観たとき、ある結論(あるいはあらゆる結論)に達した。何度も観て欲しい映画の一つである。


死霊のはらわたを上映している小さな映画館の中、兎と男が会話している。


男「君は何故、兎のきぐるみを着ているんだい」

兎「君は何故、人のきぐるみをきているんだい」


なんとなく、涙が溢れた。