ブロークンセッション

「elePHANTMoon」の新作「ブロークンセッション」を観劇。

「心の余白にわずかな涙を」が王子小劇場で公演休止になってからこの方、なんとはなしに気になっていはいた劇団で、前回の「成れの果て」からせっせとサンモールスタジオに足を運んでいたわけであるが、今回の作品は最後にオチをつけ壮快にさせた分だけ私には気に喰わないのであるけれども、そこを抜かせばマキタカズオミの脚本にも、(ハマカワフミエ以外の)俳優陣の演技にも良い点をあげてもいいだろう。本日が最終日なのでネタばらしアリの方向で。

殺人を犯してしまった人がその罪と、賠償金を支払うために遺族から暴行を毎日のように受ける、という架空のシステムを前提としてた作品。この設定は面白みがある。顔を一発殴るごとにいくら、という取り決めがされており、それらが賠償額から差し引かれてゆき、遺族は殺された被害者のために殴り、加害者は殴られ膨らんだ自らの顔を見て自信を取り戻す、しかしながら勿論このようなシステムが瓦壊するのは一目瞭然で、そこに焦点を当てる。

遺族にも数通りが用意されており、加害者がただそこに「いる」ということを感じるためだけにお茶を飲みに来る人、義務感から殴り続ける人、それを止めに来る夫、更に加害者側の家族、システムの立案者、それらをドキュメンタリィとしてフィルムに収めたい映像作家などがうまく絡み合い、積み上がりすぎて今にも崩れ去りそうな水子供養の石のように、いちりんの風が吹けば何かが倒壊する或る種の緊張感を以って劇は進む。彼らは、事件や、或いはそのシステムによってトラウマタイズした傷跡を抱え、やれこんなものを求めていたわけではない、やれそれでも私にはこれが必要なのだ、と主張しあう。そして一気に崩壊を助長するのは、遺族の一人がシステムの枠組から他の遺族を外す為に、加害者を殺、そして自殺する、という場面。

この場面の美しさといえば、何にも代え難いものがある、「拠り所をここに求めていたのではないですか」「いや…こんな、あいつなんかに俺はよりどころを求めていない。俺の心の拠り所は、俺の…、娘だった」と応えた遺族の男は包丁を静かに持ち、奥の部屋へと消える。血まみれになって帰って来た男は「もうこれで大丈夫だ」と一言残して自殺する。その後は桐生夏生の「OUT」の様な展開で、このシステムに組み込まれる予定だったシリアルキラの若い女性が、死んだ二人の男をバラバラにして捨てることを提案し、それをたまたま撮ったフィルムが財界の人間に受け、また殺す、というようなオチが待っているのだが、正直割愛、ラストなどは確かに旨く持って来ている感は否めないのであるけれども、しかしながら私としては落第点。総合で75点といったところか。

この遺族と加害者の葛藤というのは多くの場合で存在していて、例えば光市の事件などは未だにテレビジョンに顔を出しては何かしらを言い、メディアもそれに乗せられ遺族感情を煽っている。それがもしかしたら正しいのだろうし、或いは正しくないのかもしれない。ただ、このブロークンセッションは、それらの微妙な心の傷跡を、抉り、また癒すようにして、はち切れんばかりの糸のテンションを保っている。コミカルに描きながらも要所での俳優陣の間や、どうでもいいような日常的な仕草一つ一つが、それらをより一層鮮明にしていると言えよう。