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昨日、最も親しい友人の一人が電話で「彼女が妊娠した」と伝えてきた。彼は大学四年生、恋人はまだ大学三年生の20歳だ。無論、予測されたものではない。「震災とかあっただろ、やっぱり、そういうのって、廻り廻るもんなのかなぁ」そう言った彼とその恋人は、まる一日話し合い、生むことを決めた。これから困難なことがたくさんあるのだろうけれども、大学生で子どもを生むという選択をした勇気にはたくさんのエールを送りたい。あー、なんか、とってもいい気持ち。

フーコ的解釈から文化相対主義へ、オリエンタリズムを捨てろ!

http://www.narinari.com/Nd/20100713921.html


中国に於ける「さらし刑」が問題になっているという。

窃盗などの罪に問われた人々が、手錠を嵌め、衆目に晒されるという伝統的な刑罰が中国では残っている。このニュースでは、売春の罪で逮捕された女性が手錠を架せられ裸足のまま市中を歩かされるという様子が写真で公開され問題になっていると述べられている。このニュースでは、公開された写真のプライバシィの問題を挙げているが、本質的に問題提起されているのは、「公開刑」の方であろう。この日記を読んでいる方々はどういった考えをお持ちであろうか。それはそれとして、大方の意見は予想の通り、「人権を無視している」だ。

このニュースについてのいくつかの日記(100程であるが)を拝見したところ、遅れている前近代的な慣習であるとか、欧米では存在しえない卑劣なものであるとか、人権なんて中国にはない、公開処刑は野蛮だ、などのそういった意見が多数を占めているのだが、本当にそうなのだろうか。ヒューマニズムに価値観を置きすぎた近代に、果たして問題はないのか。同じアジアであることを忘れながらも欧州的オリエンタリズムの中で優越感に浸る日本人に価値観を頭の隅に置きながらも、文化相対主義の枠組みで、その事実を、捉える。


ミシェル・フーコ(1986)が『監獄の誕生』の中で表したのは、欧州での刑罰の変遷が、開示されたハレの場に於ける祝祭空間に身をどっぷりと浸かっていた民衆の価値観を、ヒューマニズムのベクトルに捩じ曲げるように影響を齎したということであった。

多くの人々が勘違いしていることであるが、17世紀から18世紀の欧州でも、「身体刑」と呼ばれる刑罰が日常的に行われていた。「身体刑」とは、囚人の身体にダメッジを与えるシーンを民衆に観せながら処刑する刑罰で、例えば、囚人はその心臓に向かってナイフを死なない程度に刺されながら、その様子を民衆は熱を持った眼で追う。処刑人は民衆が歓ぶように、その嬲り方を変え、その都度、牧師が囚人の耳元で「悔い改めたのか」と囁く。そしてその民衆の熱狂の中、囚人が真なる罪の反省の言葉を口にしたとき、その身体刑は完成し、心臓が抉り出される。

それから時を経て、やがて身体刑は「ギロチン」へと姿を変える。断っておくが、これは、ヒューマニズムによるものだ。ギロチンは何も残虐性の象徴ではなく、美しき人間の同情の賜物なのであり、また憐憫の情である。人々は断続的な苦痛を刑から取り除き、単なる死をそこへ導入した。一瞬の死は、彼らに痛みを与えることなく、刑罰を昇華することを可能にした。

だが、ここでは未だ、祝祭空間はオープンな形で保たれた。度々それら囚人たちのシンボリックな死は、処刑人の権力の継承として扱われ、また回復の形成にも役立つこととなった。フランスの革命ではギロチンに処された側がその後に処刑されたように、それら公開処刑は権力の移り変わり、回復として利用され、衆目のもとに晒されたのである。

その後は多くの人々にとって周知の事実として、現代の方法論へとそれらの形は変わっていった。現在も日本では行われている密室刑、そして最終的な境地として欧州では考えられている、死刑の廃止、である。近代的コンテクストではこうしてヒューマニズムが常に重視され、痛みの付与は、絶対的な悪として扱われ、それを衆人環境に置くなどということは言語道断であるとされてきたのである。

だが、それは、本質だろうか。

アジア諸国の文化圏ではそうはならない。

事実、西洋の枠組みが文明の到来として受け入れられるまで日本でも市中引き回しの刑は当然のように行われていたし、中国では1991年まで処刑がテレビジョンで中継されていた。「すまない!」という言葉とともに響き渡る銃声には深い哀愁が漂う。その声、そして銃声に人々は歓喜し、その死、その反省を祝う。

ジャ・ジャンク(1997)の代表作でもある映画『一瞬の夢』ではスリで捕まった武が電柱に吊るされ、衆人環境に晒されている瞬間が、武自身の視点で撮られ、それを囲む人々の突き刺さる視線が印象的に描かれている。武を観る人々の眼は、単なる野次馬の域を超え、真理を追求する心が垣間見える。大衆は、囚人が真の悔いを得たかどうかを知りたいのである。それは、身体に圧力をかけることでしか得られない真実の声だ。中国ではこの大衆が望むものを観せる装置が未だに存在している。それには多くの理由、例えば農村人口の割合としての大きさなどが考えられるが、文化の違いであろう。ヒューマニズムという価値観だけに重きを置き公開刑を批判するのは間違いであり、欺瞞なのである。

魯迅(1936)は著書『深夜に記す』の中で、それまで公開処刑に反対していた意見を反転させ、公開処刑に対して賛成を表明する。それは弟子たちの密室での死を経ての思考転換であり、「密室刑の方がずっと寂しい」と記している。公開刑だからこそ現れる民衆の力、というものはある。真実の声を聴きたいという大衆の望みは、その公開刑の中で活性化し、昇華される。その美しい文化の中で育まれてきた過程を、単なる野蛮の一言で片付けるのはいかがか。まずこの中国的な思考プロセスを批判する人々は欧州的なオリエンタリズムの思考に陥りながらも自らの国が死刑廃止というヒューマニズムの極地にも到達していないという矛盾にも気付くべきだろう。



と言っても別に中国を擁護しているわけではありません。

考え方の問題です。

時よ止まれ、君は美しい

十代が終わり二十代が始まる。

ゼロ年代と呼ばれた世代もいつの間にか露と消えた。気付かぬうちに2010年へと突入している。時間は、あっ、という間に過ぎ去っていく。昔は、時が早く流れてはくれないだろうか、という想いばかりが募っていたが、今となってはそれはこれ、もっと私に時間をください、と切に考える。何故、こんなにも時の流れが早くなったのだろうか。

小学生の時分、私は、神童、と親を含めた幾人かの人々に云われていた。知能指数テストでは高得点を叩き出し、全国の模試では勉学に勤しむことなく常に上位をキープしていた。いつしか「まふみ君は将来が楽しみね」とお世辞ともつかぬ言葉を掛けられるのが当たり前となっていた。私も「そうだ、僕は、天才なのだ。これから何でも出来る、たくさん素晴らしいことをしてこの本棚を埋める偉人たちのようにきっと僕の名前を歴史に刻まれるだろう。何も僕を阻む壁など、ない」と自らを過信し、そして回りの愚かに振る舞う人々を観て、何故人間はかくも頭が弱いのだろう、と卑下した。

それからどれくらい経っただろう、中学高校と親元を離れ、自らの小ささ、そして、誰かの愛情なしには生きられない、とても弱く、脆い人間であることを知った。この社会、家族、世界に受け入れられないもどかしさを他人にぶつけ、そのフラストレーションを部屋の壁にぽっかりとした真っ黒な穴をあけることで発散した。

「俺は今、牢獄の中にいる。その決して破ることの出来ない堅固な獄中で、一人で、孤独に、風の中、耐えている。俺はずっと、誰も必要ない俺には誰も必要ではない、と自らに言い聞かせて生きてきた。しかしどうだ、いざ世界から見放されてみると俺はぴゅうぴゅうと吹く風の中で泣っき面を浮かべている。涙が頬を伝い、そのどこにも向けようのない怒りを、何も罪のない壁へと叩きつけている。俺は糞だ、糞としかいいようがない」

と15歳になった私は日記に記している。

世界中が敵になったような気がして、仕方がなかったのだろう。

それでもまだ僅かにある希望たちに縋って、こう書かれている。

「しかし、決して吹き飛ばされることはないだろう」

と。

今のは私はどうだ。

小学生、そして十代の私が疑いもしなかった、偉業を達成させることが出来る自分でいるだろうか。少なくとも、近い未来には何か出来る、と考えているだろうか。そう問い直せば、そんなことは微塵にも思ってはいない、とすぐさま答えを出すだろう。小さな綻びと、限界が垣間見え、私は、苦痛に顔を歪める。自分の無力さと、そしてその希望の光の弱さに、ただ虚しさを抱く。何も感じない、何も出来ない、そびえ立つ壁は、高く、険しい。

おばあちゃんが癌であると云う。

私を最後まで見捨てなかった、おばあちゃんが、癌であると云う。

しかし私にはまた何も出来ない。ただ、その辛い顔を観て、

「大丈夫」

と声をかけ、また空気が少しだけ震えるように

「きっと、大丈夫」

と自分に言い聞かせるだけなのである。

ところで、何故時間が早く感じるのかを考えると、アインシュタインは「ストーブの上に手を置いている一分間よりも、可愛い女の子と手を繋いでいる一分間の方がずっと短い」と言っているが、その思考では今の方が長く感じる筈で、私はやはり人生に於ける時間の重要性というか、価値観の相違からであろう、と思う。

それは六歳の頃に過ごす一年間は、二十歳の私がこれから過ごす一年間に比べれば、三倍の容量を以って捉えられる筈で、きっとそういうことなのだろう。だから今はあの頃の三倍のスピードで時が過ぎ去っていく。恐らく、そうなのだろう。そして、私は、そういうことにしておくことにした。

花園神社とメイド

本日、観劇の際、帰りに御苑から新宿までの道のりを歩いていると、靖国通り沿いが人に溢れている、しかしながら新宿が人通りに溢れるなどというようなことは日常茶飯事であり何を今さら、と仰る方も多いと思うが、屋台に熊手と、異様な景色の中で若者たちがじゃがバターにむさぼりついていたのである、これは何事かと考える。そういえば本日は勤労感謝の日であるからして、新嘗祭か、ふと閃いた。勿論、熊手も出ていることであるし、酉の市が主であろうが、新嘗祭を忘れてはならない。

ご存知、勤労感謝の日は戦後に出来た祝日であり、それ以前は「新嘗祭」として、五穀の実りを祝い天皇自らが神に捧げ、食すという千年にも渡る習慣があった日でもある。天皇即位の年は特別に大嘗祭と呼ばれ、即位の義とほぼ同様の意味を持ち、(誰も観たことはないが)その大嘗祭で、即位する天皇は神に捧げた神饌を自ら食し、人を捨て、神へとなる。11月23日という日は(この日に決まったのは明治以降であるが)神社にとって最も大事な日であり、それはヤマトタケルを祭る花園神社もご多分に漏れない。

ところで、花園神社と言えば、東京では靖国神社と並び、見世物小屋を祭事の際に開く神社としても有名であるが、本日はそれよりも気になるものを見つけた。「メイド屋台」である。このような言葉を太字にするのもどうかと思い、思春期の少年のごとく悩んでしまうのであるけれども、しかしここはあえて太字にさせて頂きたい。

メイド屋台」である。


「写メとかだけでもいいんで、寄っていってくださーい☆」


と数人のメイドを配したメイド屋台にはメイド一人に対して五、いや、六はいるだろうと思われるような人だかりが出来、その周りを物珍しそうにそして嬉しげに「どんなメイドがいるか見てみよう!」と語る少年たちの好奇心が渦巻いていた。今と成っては、怖を撥ね除ける熊手や呪符などには誰も見向きなどしない、大して可愛くもない女性たちがメイド服と呼ばれる錯覚によって三割増しの美しさを保持し、人々はそれらに魅了されてしまった。我々はこれを「女子高生は制服で三割可愛く見えるの法則」と呼ぶ。

演劇

ところで演劇のことについてこのブログで初めて言及したような気もしないでもない。基本的に料金で決める(3000円以下)まふみんに、これよさげだよ!ってな具合の演劇を教えてください。最近観る機会がぐっと減ったので。月1-2回しか観ていない。また何かしら、演劇以外でも、例えば歌舞伎、狂言などはよく観ているのですけれども、それらで良いのがあったら書いていこうかな、と考える今日この頃でございます。

ブロークンセッション

「elePHANTMoon」の新作「ブロークンセッション」を観劇。

「心の余白にわずかな涙を」が王子小劇場で公演休止になってからこの方、なんとはなしに気になっていはいた劇団で、前回の「成れの果て」からせっせとサンモールスタジオに足を運んでいたわけであるが、今回の作品は最後にオチをつけ壮快にさせた分だけ私には気に喰わないのであるけれども、そこを抜かせばマキタカズオミの脚本にも、(ハマカワフミエ以外の)俳優陣の演技にも良い点をあげてもいいだろう。本日が最終日なのでネタばらしアリの方向で。

殺人を犯してしまった人がその罪と、賠償金を支払うために遺族から暴行を毎日のように受ける、という架空のシステムを前提としてた作品。この設定は面白みがある。顔を一発殴るごとにいくら、という取り決めがされており、それらが賠償額から差し引かれてゆき、遺族は殺された被害者のために殴り、加害者は殴られ膨らんだ自らの顔を見て自信を取り戻す、しかしながら勿論このようなシステムが瓦壊するのは一目瞭然で、そこに焦点を当てる。

遺族にも数通りが用意されており、加害者がただそこに「いる」ということを感じるためだけにお茶を飲みに来る人、義務感から殴り続ける人、それを止めに来る夫、更に加害者側の家族、システムの立案者、それらをドキュメンタリィとしてフィルムに収めたい映像作家などがうまく絡み合い、積み上がりすぎて今にも崩れ去りそうな水子供養の石のように、いちりんの風が吹けば何かが倒壊する或る種の緊張感を以って劇は進む。彼らは、事件や、或いはそのシステムによってトラウマタイズした傷跡を抱え、やれこんなものを求めていたわけではない、やれそれでも私にはこれが必要なのだ、と主張しあう。そして一気に崩壊を助長するのは、遺族の一人がシステムの枠組から他の遺族を外す為に、加害者を殺、そして自殺する、という場面。

この場面の美しさといえば、何にも代え難いものがある、「拠り所をここに求めていたのではないですか」「いや…こんな、あいつなんかに俺はよりどころを求めていない。俺の心の拠り所は、俺の…、娘だった」と応えた遺族の男は包丁を静かに持ち、奥の部屋へと消える。血まみれになって帰って来た男は「もうこれで大丈夫だ」と一言残して自殺する。その後は桐生夏生の「OUT」の様な展開で、このシステムに組み込まれる予定だったシリアルキラの若い女性が、死んだ二人の男をバラバラにして捨てることを提案し、それをたまたま撮ったフィルムが財界の人間に受け、また殺す、というようなオチが待っているのだが、正直割愛、ラストなどは確かに旨く持って来ている感は否めないのであるけれども、しかしながら私としては落第点。総合で75点といったところか。

この遺族と加害者の葛藤というのは多くの場合で存在していて、例えば光市の事件などは未だにテレビジョンに顔を出しては何かしらを言い、メディアもそれに乗せられ遺族感情を煽っている。それがもしかしたら正しいのだろうし、或いは正しくないのかもしれない。ただ、このブロークンセッションは、それらの微妙な心の傷跡を、抉り、また癒すようにして、はち切れんばかりの糸のテンションを保っている。コミカルに描きながらも要所での俳優陣の間や、どうでもいいような日常的な仕草一つ一つが、それらをより一層鮮明にしていると言えよう。